不動産の最近のブログ記事
先方から差し出された名刺は、「頂戴いたします」といった態度で右手で受け、左手を添えるようにして受け取ります。
受け取った名刺は、目を通し、相手の役職とともに名前をしっかり覚えます。
このとき、先方の人の名前が、読みにくければ「お名前、どうお読みするのでしょうか?」と質問します。
これは決して失礼にはあたりません。
受け取った名刺は、名前をハッキリ頭にきざみつけたところで、名刺入れに納めます。
テーブルの上に名刺を置いたまま用談する人もありますが、多人数の人との商談などで、相手の名前を覚えられないときを除いて、丁重に名刺入れに納めておくのがよいのです。
なお、目上の人の名刺はむやみにほしがってはいけないというのが原則です。
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逆にこんなひどい夫はいままで聞いたこともない、あなたもよくよく運が悪い、このままだと生き地獄だ、などと夫のひどさを強調してやり、一刻も早くさっさと別れなさいとすすめる。
するとおもしろいことに、相手は、たしかに夫はひどいけれども、それほどではない、自分が悪いところもあると、かえって夫を弁護したりしはじめるのだ。
神経症の治療で有名な森田療法でも、苦しみや悩みを訴える人には、けっして忘れなさいとは言わない。
もっと悩め、もっと苦しめと、とことん悩ませてみるのである。
一見、非情な方法にもみえるが、こうしたやり方に共通する意図は、自分の抱える問題を遠ざけるのでなく、かえって問題そのものを本人にぶつけることにより、客観視させることにある。
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私が運転免許の更新で教習所に行ったときのこと、ごった返す人のなかで「更新」の窓口がわからない。
仕方なく職員のひとりに場所を聞いたところ、さも面倒くさそうに、またかという表情で、「あそこにちゃんと書いてあるだろう」と言う。
なるほど、指されたほうを見ると、窓口の上の小さな看板に「更新」という文字が見える。
しかし、はじめて来た人間が、それとすぐわかるような表示とは、とても思えなかった。
それなのにこの職員の態度はどうだろう。
たしかに形のうえではきちんと各窓口の表示がなされている。
だが、彼自身の表情からもわかるように、おそらく何人もの人が、くり返し窓口の場所を尋ねるという事態が発生しているにもかかわらず、彼もほかの職員も、その表示のわかりにくさを問題にしていない。
要するに、形式がいちおう整っていると、それがほんとうに機能しているかどうかを問題にしなくなる人間心理の盲点が露呈しているのだ。
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地震、雷、火事、ドロボー......。
これは幼いとき、いつとはなしに覚え、おぼろげながら感じていた"おそろしいもの"の代表である。
「ドロボー」の代わりに「オヤジ」というのが正しいとする説もあるが、それはともかく、この表現にはどことなくユーモラスなところがある。
いわば身近にある危険(リスク)を言葉たくみに読みこんだものだが、現代におけるリスクとは、いったいどのようなものであろうか。
地般皿沈下、電波障害、光化学スモッグ、オキシダントやフロンなどによる汚濁汚染、粉塵公害、騒音公害、薬品公害、悪臭公害、停電・断水、放射線・原子力事故、エイズ......。
まだまだ、たくさんある。
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東海道新幹線は昭和39年10月1日(1964年)に東京から新大阪までの515.4キロ(営業キロ数では552.6キロ)を3時間で走る広軌道の特急列車を専用に走らせる鉄道として開通した。
その利用旅客数は、「東海道・山陽新幹線利用旅客数の推移」にみられるように、昭和39年度2050万人であったが年々1000万人以上の利用客が増加し続け、昭和45年度には8463万人へと、3.8倍にも増加した。
翌年の46年度には山陽新幹線が開通するにいたって東海道山陽新幹線は昭和50年度には1億8522万人に達した。
その後は石油ショックによる構造不況と世界の同時不況によって利用客が減少して、53年度には1億2369万人へと約2000万人余も減少したが、経済の安定化と供に徐々に回復し、60年度には1億3312万人と、ピーク時の85%の水準にまで回復した。
そして1980年代末までには、過去のピークを上回るといった水準に達することになると予想される。
このうち、東海道新幹線利用客のみを抽出してみると、49年度の1億2129万人をピークに、下降線をたどって、57年度に8806万人とピーク時よりも22%も低いレベルに達したのを底として、その後増加に転じて昭和60年度には9468万人(ピーク時の84%の水準)へと回復し、さらに今日では1990年の到来をまたずして輸送能力の限界に達した。
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