石の家には生物としての家のやわらかさ、暖かさがなく、非生物としてのつめたさ、かたさ、牢獄のような暗さがある。
石のもつ永遠性のなかには非情さを感ずるが、木のもろさ、はかなさ、命あるものだけがもつ風情とか情緒は全くない。
西洋の都会の家は、家というより石の穴倉だ。
われわれがいう家の概念にあてはまらない。
ましてや家と庭と書く「家庭」ののびのぴとみずみずしい開放的な雰囲気はない。
西洋の町に活気が乏しいのは石の永久性のため増築新築の必要が少ないからだ。
それに比べて日本では戦災、震災、火災の度に町ぐるみ振り出しにもどって建設を始め、ふだんでもひっきりなしに増新築をくり返している。
東京の街路をながめていると、ひっきりなしに砂利トラがゆき、木材が運ばれ、ミキサーが進み、トラックの大部分が土木建築資材の動きであることに気がつく。
つくってはこわし、燃やしては建てる=この回転のエネルギーこそ日本の原動力と思われる。
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