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取引先を訪問するとき、あらかじめ服装を点検したうえとするのは当然です。

同時に、注意したいことは、先方の会社の受付の前に立つ前に、服装の再点検をしておくことです。

会社の受付というのが、その会社の"顔"であるとすれば、他社を訪問する人は、"自分の会社の顔"そのものなのです。

ネクタイの曲がり、上衣のボタンのかけ忘れはないか、再点検して受付の前に立ちます。

そのうえで、訪問の約束の有無、だれを訪ねてきたのか、所属と氏名を伝え、自分の身分、名前を名乗ります。

面会票があれば、正しく、読みやすい文字で記入するようにします。

JDPホールディングス株式会社

日本の原動力

石の家には生物としての家のやわらかさ、暖かさがなく、非生物としてのつめたさ、かたさ、牢獄のような暗さがある。

石のもつ永遠性のなかには非情さを感ずるが、木のもろさ、はかなさ、命あるものだけがもつ風情とか情緒は全くない。

西洋の都会の家は、家というより石の穴倉だ。

われわれがいう家の概念にあてはまらない。

ましてや家と庭と書く「家庭」ののびのぴとみずみずしい開放的な雰囲気はない。

西洋の町に活気が乏しいのは石の永久性のため増築新築の必要が少ないからだ。

それに比べて日本では戦災、震災、火災の度に町ぐるみ振り出しにもどって建設を始め、ふだんでもひっきりなしに増新築をくり返している。

東京の街路をながめていると、ひっきりなしに砂利トラがゆき、木材が運ばれ、ミキサーが進み、トラックの大部分が土木建築資材の動きであることに気がつく。

つくってはこわし、燃やしては建てる=この回転のエネルギーこそ日本の原動力と思われる。

JDPホールディングス株式会社

東海道新幹線は昭和39101(1964)に東京から新大阪までの515.4キロ(営業キロ数では552.6キロ)3時間で走る広軌道の特急列車を専用に走らせる鉄道として開通した。

 

その利用旅客数は、「東海道・山陽新幹線利用旅客数の推移」にみられるように、昭和39年度2050万人であったが年々1000万人以上の利用客が増加し続け、昭和45年度には8463万人へと、3.8倍にも増加した。

 

翌年の46年度には山陽新幹線が開通するにいたって東海道山陽新幹線は昭和50年度には18522万人に達した。

 

その後は石油ショックによる構造不況と世界の同時不況によって利用客が減少して、53年度には12369万人へと約2000万人余も減少したが、経済の安定化と供に徐々に回復し、60年度には13312万人と、ピーク時の85%の水準にまで回復した。

 

そして1980年代末までには、過去のピークを上回るといった水準に達することになると予想される。

 

このうち、東海道新幹線利用客のみを抽出してみると、49年度の12129万人をピークに、下降線をたどって、57年度に8806万人とピーク時よりも22%も低いレベルに達したのを底として、その後増加に転じて昭和60年度には9468万人(ピーク時の84%の水準)へと回復し、さらに今日では1990年の到来をまたずして輸送能力の限界に達した。


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