2016年1月アーカイブ

子どもを見る時、一方向のみから見ることは、子どもの一面を見るにとどまり、全体としての子どもを見ずに終わってしまうことになりかねない。

その過ちをおかさないためには、自分の中にいくつもの目をもって見ることであり、それは、一つの考えにとらわれることへの警告である。

たとえば、落つきがないといえる行動も、何が落ちつきなくさせているのか。

あるいは見る者が落ちつきがない事を即問題行動と決めつけてしまってはいないかなど、そこにはいろいろな見方、とらえ方での検討がなされなければならない。

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知ることとわかること

「知る」ということが、その物や人や事柄についての知識を得るという意味あいが強いのに対し、「わかる」ということには、そこに、そのことばを使う者の感情が含まれることが多い。

もっとも日常的には、それ程厳密に区別して用いられてはいない。

しかし、保育の場面では、その差を大切にしなければならないことが多い。

たとえばA君が何人兄弟の何番目であるかを知ることはたやすいが、きょうだいの特性、その事実を本人がどのようにとらえ、感じているか、それに対する周囲のかかわり方はどうかなど、兄弟関係が本人にどのような影響を与えているかを理解することこそ保育の現場では大切である。

ただその「わかった」はあくまでも保育者のひとりよがりであってはならない。

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自らの中にやるべき目標や解決すべき問題を自覚するようになると、それに取り組もうとする態度や姿勢があきらかになる。

外部から命じられたり与えられたりする問題に取り組む姿勢だけではなく、自分から進んで取り組もうとする意図的な態度を示すものと理解するべきである。

つまり、課題意識とはその問題の質や内容よりも、その主体がどれくらい明確にその問題を意識化して取り組もうとしているか、その態度や姿勢が重要視される。

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