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小正月は花正月で餅花を飾る

十五日を中心とする小正月は、花正月ともいっていて、大正月を都会的、近代的とするならば、これはきわめて農村的、伝統的な行事です。

まず花正月の花ですが、これは、実りに対する花、すなわち先ぶれとか、予兆とかいう意味で、稲作の前祝い的な行事であり、具体的には稲の花を指すともいわれています。

そのためには、モチ花といって、お餅をついて、小さな紅白のモチを木の枝やワラに、花か花房のようにいっぱいつけたり、米の粉で繭玉をつくったりして、神棚や天井からつるします。

土地によっては小モチのつけ方を、二十八宿(星座)に形取ったりもしますが、このモチ花のように稲の花がよくついて、今年の実りが豊かであるように、との願いには変わりなく、モチ米のかわりに、つぎにのべるように削り掛けというものをつくって、それを飾ったりする地方もあります。

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東海道新幹線は昭和39101(1964)に東京から新大阪までの515.4キロ(営業キロ数では552.6キロ)3時間で走る広軌道の特急列車を専用に走らせる鉄道として開通した。

 

その利用旅客数は、「東海道・山陽新幹線利用旅客数の推移」にみられるように、昭和39年度2050万人であったが年々1000万人以上の利用客が増加し続け、昭和45年度には8463万人へと、3.8倍にも増加した。

 

翌年の46年度には山陽新幹線が開通するにいたって東海道山陽新幹線は昭和50年度には18522万人に達した。

 

その後は石油ショックによる構造不況と世界の同時不況によって利用客が減少して、53年度には12369万人へと約2000万人余も減少したが、経済の安定化と供に徐々に回復し、60年度には13312万人と、ピーク時の85%の水準にまで回復した。

 

そして1980年代末までには、過去のピークを上回るといった水準に達することになると予想される。

 

このうち、東海道新幹線利用客のみを抽出してみると、49年度の12129万人をピークに、下降線をたどって、57年度に8806万人とピーク時よりも22%も低いレベルに達したのを底として、その後増加に転じて昭和60年度には9468万人(ピーク時の84%の水準)へと回復し、さらに今日では1990年の到来をまたずして輸送能力の限界に達した。


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